バレエ大国ウクライナ~世界で活躍するウクライナ出身のダンサーたち~

芸術を愛し芸術家を育む美しい国、ウクライナ。ザハーロワ、サラファーノフ、マトヴィエンコ、サレンコ、ポルーニンなどバレエ界のスターたちが、この地で生まれ育ち、世界へ羽ばたいています。光藍社では、首都キエフにあるウクライナ国立歌劇場バレエ(キエフ・バレエ)を毎年招聘していますが、そこでもまた未来を担う若手からフィリピエワのようなベテランまで素晴らしいダンサーたちが所属しています。

そんな才能溢れるダンサーを輩出し続けるウクライナに注目し、キエフ・バレエや世界の名だたる劇場で活躍しているウクライナ出身のダンサー達をご紹介する連載企画をお届けいたします。


第二弾は、ミハイロフスキー劇場バレエのファースト・ソリストとして活躍するスヴェトラーナ・ベドネンコです。ウクライナ国立ドネツク・オペラ・バレエ劇場のバレエ団で活躍後、エイフマン・バレエを経てミハイロフスキー劇場バレエに入団し、2019年の来日公演ではナチョ・ドゥアト振付「眠りの森の美女」のリラの精で、美しい姿を披露してくれました。ウクライナでバレエを始めた学校時代から各バレエ団での活躍、昨年劇場から招待されてキエフ・バレエに出演した時の様子などをインタビューでご紹介します。


豊かな経験で踊りの幅を広げたベドネンコ

①スヴェトラーナ・ベドネンコとは

1991年にウクライナ東部のドネツクで生まれました。2001年にワジム・ピサレフ・バレエ学校へ入学し、2007年にウクライナ国立ドネツク・オペラ・バレエ劇場にソリストとして入団しました。コンクールで鬼才振付家として知られるボリス・エイフマンに見いだされ、2011年エイフマン・バレエに移籍し、様々な作品で主要な役を踊りました。2013年にミハイロフスキー劇場バレエに移籍し、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「バヤデルカ」「海賊」などで主要な役を踊る他、ナチョ・ドゥアトの作品にも多数出演。そのレパートリーの多さから毎日のように公演に出演している、今まさに大活躍中のバレエダンサーです。

②ウクライナでのバレエ学校時代、そして有名バレエ団ソリストへ

―バレエを習い始めたきっかけを教えて下さい。

私は、幼少期から姉と一緒に新体操を習っていてある程度の成績を出していました。ある日、母と一緒にウクライナ国立ドネツク・オペラ・バレエ劇場の「白鳥の湖」を観に行ったのが、初めてのバレエとの出会いです。その時踊っていたのは、ウクライナ人民芸術家のインナ・ドロフェ-エワとワジム・ピサレフでした。主演のオデット/オディールがとても印象的で、私はこの物語の中にずっと浸っていたいと強く思いました。そして、10歳の時にバレエを習い始めます。母が私と姉を、新体操を上達させるためにワジム・ピサレフ・バレエ学校へと入学させたのです。今でも、バレエを習うきっかけを与えてくれた母にとても感謝をしています。

―どのようなバレエ学校時代でしたか?

私にとってバレエ学校は、芸術世界へ続く大いなる旅の始まりとも言える、かけがえのない時間でした。バレエ学校で学べるのが嬉しくて、走って登校していたことを昨日のことのように覚えています。バレエ学校では、低学年の頃から劇場で上演されているオペラやバレエに出演をすることができました。そこで、終演時に起こる観客からの拍手に息を飲み、心を奪われました。出演できたことがとても楽しかったし、幼いながらも「創造性に富み、観客を楽しませることが出来る場所は、まさにここだ」と気づきました。舞台が私のいるべき場所であると感じた瞬間です。 人生を変えるような発見をした私は、完璧を目指して努力に励み、クラスレッスンではこれまで以上に集中して、クラスが終わってからもスタジオに残って納得がいくまで練習するようになりました。その努力の甲斐もあり、12歳の時にはバレエ学校の中国公演ツアーに参加することができましたし、さらに最終学年の時には、国際バレエコンクールで1位を受賞しました。バレエ学校時代の忘れられない思い出です。

(左)幼少期の家族写真(右からベドネンコ、母、姉) (右)バレエ学校の中国ツアー

―ドネツクのバレエ団入団から、エイフマン・バレエへ移った経緯を教えてください。

学校を卒業して、ウクライナ国立ドネツク・オペラ・バレエ劇場のバレエ団に入団しました。徐々にソリストとして活躍できるようになり、同時に世界中の国際コンクールに参加し始めました。劇場では、私がバレエを始めるきっかけとなった「白鳥の湖」で主演を踊っていた、インナ・ドロフェーエワ先生に劇場での公演のリハーサルに加え、コンクールの指導もしていただきました。

あるコンクールに参加した時、ボリス・エイフマンがサンクトペテルブルグにある自分のバレエ団に来ないかと声をかけてくれました。熱心に誘っていただきましたが、当時の私には故郷を離れる決心がつかず断り続けていました。その後、セルジュ・リファール・バレエコンクールで金賞を受賞した際、エイフマン作品を踊る準備が整ったと自分の中で感じるものがあり、彼からの誘いを受けてエイフマン・バレエへの入団を決意しました。エイフマン・バレエのプリンシパルというのは誰もがなれるものではなく、20歳のダンサーにとっては、非常に名誉なことで、まさに運命の贈り物でした。

―エイフマン・バレエでの忘れられない経験はありますか?

エイフマン・バレエでは、ロシア人民芸術家のタチアナ・アレクセーエワに師事しました。どの作品の練習も、すべて忘れることが出来ない思い出です。「私はドン・キホーテ」のキトリから始めて、「ロシアン・ハムレット」の女帝エカテリーナ2世、「チャイコフスキーPRO et CONTRA」のチャイコフスキーの妻、さらに「赤いジゼル」のタイトルロール、「エフゲニー・オネーギン」のオリガなどの役を踊りました。そして、世界各国で数多くのツアーをこなしました。

エイフマン・バレエで上演する作品は、感情的で激しい表現、複雑でユニークなテクニックという特徴があります。今まで経験したことのない表現や身体の使い方が求められ、毎日長時間練習をしていました。それは、彼の作品を踊りこなすためには必要な時間でした。辛い時もありましたが、観客からの熱狂的な歓声と拍手で、努力を続けることができました。私は、エイフマン・バレエでダンサーとして技術的にも内面的にも大きく成長することができました。

③ミハイロフスキー劇場バレエでの活躍

―その後ミハイロフスキー劇場バレエに移籍しますが、どのような思いで移籍を決めましたか?

エイフマン・バレエで踊ることはとても貴重な経験でしたが、時が経つにつれて再びクラシック作品も踊りたいと考えるようになり、ミハイロフスキー劇場を訪れました。その時に、芸術監督ナチョ・ドゥアトと常任振付家ミハイル・メッセレルの両方が私に注目してくれました。入団してすぐ、優れた振付家である彼らから直接指導を受けることができ、劇場の多様なレパートリーを踊る機会にも恵まれて、大変幸せを感じました。ミハイロフスキー劇場バレエでは、世界的に有名なバレエダンサーであるファルフ・ルジマトフ、レオニード・サラファーノフ、イワン・ワシリーエフや、劇場の素晴らしいソリストであるヴィクトル・レベデフ、イワン・ザイツェフ、エルネスト・ラティポフなどと一緒に踊ることができて、光栄に思っています。

―ミハイロフスキー劇場バレエで経験した、印象的な出来事や公演などを教えて下さい。

私にとっては全ての公演が重要だったと言えます。特に忘れられない思い出は、入団して1年目にメッセレルが私を「白鳥の湖」の主役にキャスティングしてくれたこと。そして、長年の夢だった「ラ・バヤデール」のニキヤ、「海賊」のメドーラを踊ったこと。また「スパルタクス」の新制作の時には、初演キャストとしてサビーナを踊るという経験もしました。リハーサルは、優れた教師であるアーラ・オシペンコ、スヴェトラーナ・ヴィクトローヴァ両氏が見てくださいました。彼女たちは、惜しみなくその経験や作品について私に教えてくれました。特にヴィクトローヴァ先生は、舞台上のことだけではなく、私の人生についても多大なアドバイスを与えてくれました。悲しいことに彼女は2019年に亡くなってしまい、今はもういません。

公演の話ではありませんが、2015年にイギリスのリチャード・カーソン・スミス監督がルドルフ・ヌレエフの伝記映画“Dance to Freedom”(BBCドキュメンタリーフィルム)を制作するにあたり、アーラ・オシペンコ役として私に出演を依頼してくれました。それが私にとって初めての女優としての経験だったのですが、私が自分の教師の役を演じることになるなんて、驚きですよね。

ミハイロフスキー劇場バレエでは、クラシックとモダンの両方を踊る機会があります。この劇場の興味深い点のひとつは両方のレパートリーを持っていることだと思います。ドゥアトの振付作品は、美的感覚とユーモアあるセンスに溢れています。期待感を持って新しい発見を繰り返しながら、ドゥアト作品の練習にも挑みました。

(左)ミハイロフスキー劇場バレエ「バヤデルカ」 (右)2015年“Dance to Freedom”出演時

―好きな振付家や尊敬するダンサーを教えてください。

ミハイロフスキー劇場バレエで、優れた振付家であるナチョ・ドゥアトとミハイル・メッセレルの素晴らしい作品を踊れた事は幸運だったと思います。ノルウェー人振付家のエラ・フィスクと一緒に仕事をしてニューヨークで初演された作品を踊ったことも刺激的な経験でした。注目する振付家としてはイギリスのクリストファー・ウィールドンとウェイン・マクレガーで、彼らの作品がとても好きです。いつかアレクセイ・ラトマンスキー、ヨルマ・エロ、ウィリアム・フォーサイス、ジョン・ノイマイヤー、ジョン・クランコなどの有名な振付家と一緒に仕事をしてみたいと思っています。

尊敬している素晴らしいダンサーはとてもたくさんいます。その中でも、私が最も尊敬しているダンサーはスヴェトラーナ・ザハーロワです。彼女のラインの完璧さと芸術を極めた踊りは群を抜いています。

④キエフ・バレエへの客演

―最近、キエフ・バレエで「白鳥の湖」に出演したと伺っています。キエフ・バレエとの共演はいかがでしたか?

キエフのバレエ教師ニコライ・ミハエフから、ウクライナ国立歌劇場(キエフ・バレエ)で「白鳥の湖」を踊ってほしいという依頼を受けて、とても光栄に感じました。私がドネツクで最初に習った、インナ・ドロフェーエワ先生にも来ていただけることになり、それも楽しみでした。「白鳥の湖」の私のパートナーはアレクセイ・チュチュニクで、それまで一緒に踊ったことはありませんでしたが、同劇場の素晴らしいプリンシパルだと聞いていました。私たちは、ニコライ・ミハエフ先生の厳しい指導の下で「白鳥の湖」のリハーサルを行って、指揮者と一緒に曲のテンポの確認などもしました。

私は、この劇場のフレンドリーな雰囲気に大変好感を持っています。ダンサー仲間は親切で、彼らのサポートを頼もしく力強く感じることができました。舞台に立つ前はいつも緊張と興奮を感じますが、今回オデット/オディールとしてステージに出た時には、ジークフリート王子のいるおとぎ話の世界に入り込むことができました。バリエーションの時にも、観客のエネルギーと熱い喝采を肌で感じることができ、それが私に素晴らしい刺激をもたらし、次の舞台のモチベーションへと繋がりました。

ウクライナ芸術騎士賞の称号を授与されたことも、とても嬉しい出来事でした。故郷で、自分のこれまでの功績が認められることは、大変な価値があり名誉あることです。また次の機会も、ウクライナ国立歌劇場(キエフ・バレエ)で踊れることを楽しみにしています。

キエフ・バレエ「白鳥の湖」ゲスト出演

文・インタビュー:光藍社  写真提供:Svetlana Bednenko