舞台写真家のアンジェラ加瀬さんに聞く「ロンドンのバレエ事情~思い出の舞台~」

劇場に出掛けて舞台を楽しむことは素晴らしい体験として心に残り、次の舞台の期待へと繋がっていきます。このコラムシリーズでは、舞台に関係する方や舞台鑑賞が好きな方たちに幅広くご登場いただいて、それぞれの視点からはじめて鑑賞した時の心躍る体験や、バレエやオペラ、オーケストラなどの舞台鑑賞にハマったきっかけとその魅力、心に残った光藍社の公演などを紹介していただきます。皆様が「舞台鑑賞って楽しそう」と感じたり、「また鑑賞を楽しみたい!」とご自身の鑑賞体験を思い出して、劇場に足を運び舞台をご覧いただくきっかけとなりましたら幸甚です。


第9回目は、舞台写真家として活躍するアンジェラ加瀬さんに伺いました。加瀬さんがイギリスに渡るまでの道しるべとなり夢中になったニジンスキーとの出会い、ロンドンで心を奪われ感銘を受けた数多くのバレエやミュージカルの舞台にまつわる思い出や、英国ロイヤル・バレエでの印象的な撮影シーンなどを作品とともにご紹介いただきます。



イギリスで出会った感動のバレエ舞台

●バレエとの出会い

 私とバレエの出会いは、小学生の頃。私の住んでいた街に牧阿佐美バレヱ団が訪れて、バレエ作品の抜粋を見せてくれた時です。川口ゆり子さんが、「コッペリア」のスワニルダ役を踊られ、人と人形を巧みに演じ踊り分けられたのを、昨日の事のように思い出します。バレエに夢中になったのは中学生になってからでした。世界中で大ヒットした2018年公開の映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも知られるイギリスのロック・バンド、クィーン。当時の私は「オペラ座の夜」や「華麗なるレース」といった彼らのアルバムを聴いて、その音楽や世界観、美意識に魅了されていました。ある時、友達から「フレディー(・マーキュリー)が全身タイツのような衣装を着て歌うのは、ニジンスキーというバレエダンサーに影響されたからなんだって」と聞き、ニジンスキーに興味を持ったのです。

 高校に入学した私は、学校の図書館で当時絶版となっていたロモラ・ニジンスカ著の「ニジンスキー伝」を見つけます。20世紀初頭に興行師ディアギレフに導かれ、ヨーロッパに一大ロシア・バレエ旋風を起こしながらも若くして精神を病み、ロンドンで没した伝説の男性ダンサー、ニジンスキーの事を深く知り、いっそうバレエに夢中になりました。アルバイトをして貯めたお金でバレエを習い、機会があると東京に公演やバレエ映画を観に出かけるようになったのです。

 初めて見た外国のバレエは、ソビエト時代のキエフ・バレエ「白鳥の湖」でした。パーティーか雑誌の撮影でもあったのでしょうか。公演3時間ほど前に、上野の東京文化会館の周りを歩いていた私の目の前に、パリ・コレのモデル達さながらに、美しいドレスを着た沢山のバレリーナが優雅に歩いて来たのに遭遇して、あまりの美しさに夢心地になりました。舞踊・音楽・舞台セット・衣装・照明による総合芸術である、バレエの素晴らしさを思い知ったのは、この時です。また私は、哲学的な現代作品を数多く発表していたモーリス・ベジャールと「20世紀バレエ団」のダンサー達や、やはり哲学的で美しい作品を作るジョン・ノイマイヤーにも強い興味を持っていきました。

●80年代後半のロンドンのエンタメ

 その後、私は渡英します。イギリスに来て初めて見たのは、英国ロイヤル・バレエ団の「オンディーヌ」全幕で、男性の主役は芸術監督になったばかりのアントニー・ダウエル。当時のロイヤル・バレエは、創設者ド・ヴァロワ女史、振付家のアシュトンやマクミランも存命していて、団員は皆イギリス人かエリザベス女王を宗主と仰ぐカナダやオーストラリア、南アフリカなどの国籍。優雅で上品、「外連(けれん)」とは無縁の節度ある踊りと演劇性で知られるバレエ団でした。その後、新しい考えを持ったダウエルが、シルヴィ・ギエムやイレク・ムハメドフ、熊川哲也などの才能ある外国人ダンサーを受け入れ、さらにピーター・ライトの推薦でバーミンガム・ロイヤル・バレエ団から吉田都も移籍し、バレエ団は様々な様式が入り混じった、国際的な組織へと変貌を遂げていきました。

 バレエ以外にも現代舞踊やジャズ、タップ・ダンスも学びながら、ミュージカルも沢山観ました。当時はロンドン・ミュージカルの「キャッツ」「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」が全て見られる時代。「オペラ座の怪人」は、昔も今も最も愛するミュージカルです。私は、ロイヤル・バレエ団の本拠地であるロイヤル・オペラ・ハウスまで徒歩10分ほどの所にあるオープン・スタジオで、様々なダンス・クラスを取っていました。丁度その頃、元ロイヤル・バレエの技巧派ダンサーで「キャッツ」の魔法使い猫を世界初演したウェイン・スリープが、ミュージカル版「キャバレー」のMC役として出演する為、同じダンス・スタジオでリハーサルをしていたり、スコティッシュ・バレエ時代の大原永子先生や、ロイヤル・バレエ・スクールの学生だった頃のアダム・クーパーがレッスンを受けに来たりしていました。今でも、当時を懐かしく思い出します。

 私がイギリスに来た80年代後半は、サッチャー政権下で経済的にも豊かで勢いがあり、舞台芸術の世界でも、デヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュのマイムの教師として知られるリンゼイ・ケンプのような大御所から、パンク・バレエのマイケル・クラークのような新人までが、話題の公演を披露する大変エキサイティングな時代でした。私は、ダンスのレッスンを受けた後、当日売の立見券を買って毎晩のようにバレエや話題のダンス公演を観て、充実した日々を過ごしていました。その後、縁があってバレエの舞台写真を撮るようになり、ロイヤル・バレエの公認舞台写真家となると共に、舞台評を書いたり、ダンサーや振付家のインタビューを行うダンス・ジャーナリストとして活動するようになりました。

「白鳥の湖」リハーサル(ザハーロワ、ウヴァーロフ)

●感動したバレエの舞台

 感動した舞台は数えきれないほどあります。ジェニファー・ペニーとアントニー・ダウエル主演の英国ロイヤル・バレエ「マノン」全幕も、その一つです。88年のペニーの引退公演でしたが、3幕のニュー・オリンズの船着き場でダウエルとペニーが船を降りて来るところからマノンの死へと続く場面の、2人の渾身の演舞。ロイヤル・オペラ・ハウスに集った観客の多くが、心を奪われ号泣する、忘れもしない奇跡のパフォーマンスでした。当時はシルヴィ・ギエムの台頭で、バレリーナの卵の多くが表現力より技を磨く事に憧れた時代でした。ヨーロッパのバレエ指導者達はそんな風潮を大いに憂い、ローザンヌ国際バレエ・コンクールでは90年代から「技術偏重ではない芸術としてのバレエ」の指導に心を砕くようになります。私はペニーとダウエルの「マノン」を観て、英国ロイヤルの「ドラマティック・バレエ」の神髄を知ると共に、「物語バレエを踊るには技術や音楽性と共に演技力や表現力、芸術性が何よりも大切なのだ。」「それこそがお客様を感動させ、彼らの人生を変えうるほどの影響力を持つのだ。」と気が付いたのでした。

 私たち舞台写真家は、ゲネプロの撮影もします。お客様を入れて行うリハーサルもある為、ダンサーによっては本番に匹敵するパフォーマンスを見せてくれます。ヴィヴィアナ・デュランテとイレク・ムハメドフ主演「マノン」のゲネプロでの「沼地のパ・ド・ドゥ」は、撮影中にもかかわらず感動の涙がこみ上げてきて大変でした。館内が明るくなった後、機材を片付けるふりをして客席の間に身をかがめ泣いていると、客席にいた知り合いの方が駆け寄って来てくれ、「アンジェラさん、大丈夫よ。皆泣いていたんだから」とやはり真っ赤な目をして、お言葉をかけて下さいました。

 エリザベス女王の誕生日記念のガラ公演で、佐久間奈緒さんが踊ったアシュトン振付「2羽の鳩」のパ・ド・ドゥでは、短い抜粋にもかかわらず、女優バレリーナである彼女ならではの演技力や表現力に涙が止まらなくなりました。その他にも彼女が演じたジゼルやジュリエット、ビントレー振付「シラノ」の女性主役ロクサーヌなどには、とにかく感動させられたものです。役が憑依したように見え、佐久間さんが日本人とは思えなくなるのも不思議でした。イギリス人やドイツ人のバレエ・ファンも皆、同じように感じたと話しています。彼女は、20年以上私の舞台写真のミューズでもありました。

アシュトン振付「二羽の鳩」(佐久間奈緒)

 さらに、ピーター・ライト版「白鳥の湖」、マクミラン振付「マイヤリング/うたかたの恋」、クランコ振付「オネーギン」、ノイマイヤー振付「椿姫」「ニジンスキー」、ビントレー振付「シルヴィア」、ノーザン・バレエ団芸術監督兼振付家として活躍し今年12月に勇退するデヴィッド・ニクソン振付「華麗なるギャツビー」「危険な関係」「白鳥の湖」、アシュトン振付「エニグマ・ヴァリエーション」、ボリショイ・バレエの「スパルタクス」、ベジャール振付「バクティ」「ボレロ」「魔笛」、マシュー・ボーンの「スワン・レイク」などなど。これらの作品に、どれだけ感動や、生きる勇気を貰ったことか。

アシュトン振付「エニグマ・ヴァリエーション」
マクミラン振付「マイヤリング/うたかたの恋」(ペニファーザー、ハミルトン)

●忘れがたい舞台撮影

 舞台写真家になって3年が経った頃、光藍社さんから「ヴィヴィアナ・デュランテとゾルタン・ソイモジーがガラ公演に出演するので、公演プログラム用に2人の舞台写真を提供してほしい」とお声をかけて頂きました。公演プログラムに写真が使用された際には大変嬉しく、その公演に合わせて一時帰国した私は、ロシア、フランス、イギリス他から綺羅星のようなスターが出演した同公演を、撮影させて頂きました。吉田都さんとムハメドフがパ・ド・ドゥを踊り、ボリショイ・バレエからはヴェトロフ、グラチョーワ、ウヴァーロフが参加。当時イギリス・バレエを中心に撮影・取材していた私は、この時の撮影は大変な刺激になりました。

 そのガラの5年後、急に舞台写真とダンス・ジャーナリストとしての活動を辞めたくなった事がありました。そんな時、ニーナ・アナニアシヴィリがウヴァーロフやボリショイ・バレエの仲間達を連れてロンドン公演に来る事を知り、「最後にこの公演を取材・撮影して辞めよう」と劇場に行きました。しかし、当時若手振付家であったラトマンスキー作品を、心から楽しんで踊るニーナとダンサー達の魅力に打たれ、辞めるどころか「ロシア・バレエに回帰する」ことになってしまうのです。その後は、改装直前の旧ボリショイ劇場の取材を皮切りに、モスクワに取材・撮影に訪れたり、イギリスとヨーロッパ以外の北欧やジョージアにもガラ公演の取材や撮影に行くようになり、舞台写真家、ダンス・ジャーナリストとして活動の幅を広げるきっかけにもなったのです。

10代の頃から憧れ続けたルジマートフ

 また、私が10代の頃から憧れた唯一無二とも言えるダンサーがファルーフ・ルジマートフでした。憧れ続けたルジマートフが芸術監督としてミハイロフスキー劇場バレエを引き連れてロンドン公演を行い、コロシアム劇場で「スパルタクス」を上演する際のゲネプロ撮影で受けた衝撃も忘れがたい出来事です。大規模な引越し公演で、オーケストラや大勢のコーラスとダンサー達の熱演と音響効果で、古代ローマのコロッセオで行われていた剣闘士達の闘いの真っ只中に私達もが投げ込まれたような臨場感があったのですから。

●ロンドンの現在

 2020年3月中旬、新型コロナの蔓延により突然イギリス中の劇場の灯が消えました。コロナ蔓延防止の為の都市封鎖は何度も行われ、劇場関係者の多くが仕事を失いました。舞台人は公演をすることが出来ず、バレエ・ダンス・演劇ファン達からは、ライブ公演を鑑賞する喜びが奪われてしまったのです。25年間、英国ロイヤル・バレエで撮影をして舞台評を書いてきた私も、今年5月まで1年以上もバレエを観る事も、ゲネプロ撮影をする事も出来ずにいました。そしてやっと今、また生の舞台に触れ、ゲネプロ撮影の喜びを再確認できるようになったばかりです。

 人類が新型コロナを一刻も早く葬り去り、世界の劇場に再び灯がともり、舞台芸術が人々の心を感動で満たす日々が続く事を願ってやみません。

ロイヤル・オペラ・ハウス
アシュトン振付「田園の出来事」(コジョカル、ボネッリ)

※ファルーフ・ルジマートフ、アントニー・ダウエルなどの表記は、筆者の希望によりそのままの表記で記載しています。

文・写真:アンジェラ加瀬(舞台写真家、ダンス・ジャーナリスト)