ABTと英国ロイヤル・バレエのプリンシパルがゲスト出演!12月27日(17:30)開演「ウクライナ国立バレエ」1日限りの『ジゼル』。主演のC.シェフチェンコにインタビュー


12月上旬から1月初旬にウクライナ国立バレエの来日公演が開催されます。12/27(土)17:30開演の『ジゼル』の舞台には、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)のプリンシパルのクリスティーン・シェフチェンコと英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルのリース・クラークが、ゲスト出演することが決定しました。アメリカとイギリスで活躍する2人が、日本でウクライナ国立バレエと共演する、1日限りの貴重な公演となります。
ウクライナ出身で、世界的に活躍するC.シェフチェンコに、バレリーナになったきっかけや出演作品への想いなどを伺いました。

—— クリスティーンさんは、ウクライナ南部のオデーサで生まれて、最初は新体操をやっていたそうですね。

4歳の時に選抜されてスポーツ学校に入学し、新体操を始めました。訓練は、毎日何時間にも及びます!オリンピックに出場する選手を養成する学校だったので、とにかく厳しかったけれど、一つのことにじっくり取り組み、やり抜く粘り強さを身につけることができました。新体操の経験は、バレリーナのキャリアだけでなく、私の人生の大きな礎になっています。

——バレエとの出会いは?

バレエはスポーツ学校の必修科目でした。バレエは競技の基盤になる、という教育方針だったので。渡米した後も、母は私に新体操を続けさせたかったようですが、私自身はバレエに専念したくなり、8歳の時にフィラデルフィアのバレエ学校〈ロック・スクール〉に入学しました。

——8歳にして自身の人生を決定する選択をしたわけですね。

私がバレエの道に進んだのは、ある意味、両親の家系の影響です。父はオリンピックに出場したことのある体操選手で、父方の祖父はウクライナでは知られた短距離走の選手でした。母はダンサー・女優をしていたことがあり、母方の祖父は音楽家・指揮者・作曲家。新体操を経てバレリーナになった私は、両親の血筋の“コラボレーション”の賜物なんですよ。

——クリスティーンさんはロック・スクール在学中にコンクールに出場し、めざましい成績を残しています。“卓越したテクニックと表現力を兼ね備えたABTのプリンシパル”の片鱗がうかがわれます。

初めて出場したコンクールは、2003年の〈ユース・アメリカ・グランプリ〉*です。ニューヨークでのファイナルに進出し、ベスト12に選出されました。この経験がきっかけになって、世界のダンサーを自分の目で見てみたい、世界のバレエの動向に触れてみたい、という気持ちが募りました。2005年にモスクワ国際バレエコンクールに出場した時は、一次予選、二次予選、ファイナルで、それぞれ違うヴァリエーションを踊ることになっていたので、1年かけて『ドン・キホーテ』『パキータ』やコンテンポラリー作品のソロを練習して、コンクールに臨みました。

*通称〈YAGP〉。ローザンヌ国際バレエコンクールと並び称される若手ダンサーのコンクールで、アメリカ国内外で開催される大規模な予選を通過した出場者だけが、ニューヨークでのファイナルに出場する。

——2005年のモスクワ国際バレエコンクールでは、クリスティーンさんがジュニア部門での金賞。この時はシニア部門でウクライナ国立バレエ(当時)のデニス・マトヴィエンコ氏がグランプリを獲得するなど、ウクライナ出身者が大活躍した年でした。金賞を受賞して得たものとは?

受賞することが目標ではなかったので、びっくりしました!今までの努力が間違っていなかった、と自信を持つことができました。これからもバレエを続け、夢に向かっていきなさい、と背中を押されたようでした。

——この時のシェフチェンコさんの夢は何でしたか?

アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のプリンシパルになること!モスクワ国際バレエコンクールの翌年にオーディションを受け、まず、ABTスタジオ・カンパニー*に入団しました。

* 17歳〜20歳の若手10名前後が在籍するABTのジュニア・カンパニーで、多くの精鋭がABTに採用されている。

——そして2008年にABTに入団、2017年にプリンシパルに昇進して、長年の夢をかなえたわけですが、数あるバレエ団の中から、なぜABTを目指したのですか?

ミハイル・バリシニコフ*が踊っていたバレエ団です!ナタリア・マカロワ*の踊りを見て衝撃を受けたこともあります!古典バレエのレパートリーが豊富で、現代作品も充実しています。本拠地のニューヨークだけでなく、世界各地で公演することにも惹かれました。

*各々、キーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の団員だった1970年代にソビエトから亡命、ABTの看板スターとして一時代を築いた。

——クリスティーンさんはABTで多彩な作品を持ち役にしていますが、今回、日本で主演する『ジゼル』の魅力は何でしょうか。

いちばん好きな作品です。他のどの作品とも違う、ロマンチックなスタイルに魅了されます。第1幕のジゼルは、踊りが大好きな少女。私自身を投影し、踊る喜びを自然に演じることができるし、その後の心の動きにも共感を覚えます。難しいのは、第2幕、精霊ウィリの幻想性を醸し出すことですね。超絶技巧を駆使するわけではないけれど、腕も上半身も、他のバレエとは違う使い方をします。この世のものではない存在になりきって宙を舞うのは、ほんとうに難しい。踊り甲斐、演じ甲斐のある作品です。

—— ウクライナ国立バレエ版『ジゼル』のラストシーンは、一般的なバージョンとは一味違う演出で締めくくられます。

ジゼルがアルブレヒトを愛していたように、アルブレヒトもまた、ジゼルを心から愛していたのです。彼女ほどに純真無垢な女性に彼は出会ったことがなかったのでしょう。ジゼルを失った彼の心の内を思いやると・・・とても感動的なエンディングだと思いました。

——アルブレヒト役は、英国ロイヤル・バレエ団のリース・クラークさんが演じますが、彼はどんなダンサーですか?

リースは素晴らしいパートナーで、真摯な演技者です!私達、一足早く、ニューヨークで共演しているんですよ。今年の7月にABTがフレデリック・アシュトン版『シルヴィア』を上演した時、私がシルヴィアを演じ、相手役のアミンタ役はロイヤルから客演したリースでした。ABTが休暇に入いる11月下旬にロンドンで『ジゼル』のリハーサルを行いますが、それが楽しみでなりません。

——ウクライナ国立バレエのダンサーと共演したことはありますか?

2年前、ウクライナから避難していたダンサーが中核をなすグループ〈ユナイテッド・ウクライナ・バレエ〉に客演して、ロンドンやワシントンD.C.で『ジゼル』に主演する機会がありました。これがウクライナ国立バレエに所属していたダンサーとの初顔合わせで、彼らのひたむきな姿勢に感銘を受けました。バレエ団との正式な共演は、今回の日本公演が初めてです。ウクライナを代表するバレエ団の公演に参加し、大好きな日本で踊れるなんて、夢のようなオファーです。

——ウクライナを支援するボランティア活動にも積極的に取り組まれていると聞き及んでいます。

ロシアの軍事侵攻が始まって以来、私にできることは何でもやってきましたし、今後もやり続けます。チャリティー公演の開催を手伝い、ABTのダンサーに協力してもらってトウシューズを山のように送ったこともあります。ウクライナに住んでいる親族と連絡をとって現地の様子を確かめ、たとえば子供服が不足していれば子供服を調達します。周囲の人たちが快く応援してくれることに感謝しています。

——ウクライナ出身のバレリーナとして、日本公演への抱負をお聞かせいただけますか。

バレエは人々の感情に深く訴えかけ、絆を深めることのできる芸術です。今、芸術が政治情勢の影響を受けざるを得ないことに、心を痛めています。そんな時だからこそ、ウクライナのダンサー達とお互いの経験を共有し、サポートし合い、母国を代表して舞台に立つ誇りを持って、観客の皆さんに素晴らしいひと時をお届けしたいです。

インタビュー・文:上野房子(ダンス評論家)


ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)
2025-26来日公演情報

「ジゼル」
12/6(土) 昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館)
12/7(日) 盛岡市民文化ホール
12/9(火) 仙台銀行ホール イズミティ21
12/10(水) あきた芸術劇場ミルハス
12/11(木) 水戸市民会館
12/12(金) 市川市文化会館
12/13(土) 茅ヶ崎市民文化会館
12/14(日) アクトシティ浜松
12/16(火) YCC県民文化ホール
12/17(水) 長野市芸術館
12/27(土) 東京文化会館 
12/28(日) ウェスタ川越

「雪の女王」
12/20(土) 相模女子大学グリーンホール
12/21(日) 東京国際フォーラム
12/23(火) ロームシアター京都
12/24(水) 神戸国際会館

「ドン・キホーテ」
1/3(土) 東京国際フォーラム

<ウクライナ国立バレエ>  
150年以上の歴史を誇り、ボリショイ劇場、マリインスキー劇場とともに旧ソ連における三大劇場と称されるタラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場を本拠地とするバレエ団。古典の名作から現代作品、ウクライナならではの作品まで幅広いレパートリーを持ち、バレエ界をリードする数多くのスター・ダンサーを輩出しています。海外公演も盛んで、日本でも1972年以降来日公演を重ねて人気を博しています。